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2010年5月3日月曜日

デザインケータイの10年:三宅一生とゼロ年代のデザインシーン

2000年4月29日から820日にかけて東京都現代美術館で開催された「三宅一生展 ISSEY MIYAKE Making Things」。それまで国内の美術館でファッションデザイナーを取り上げた大規模な展覧会が開催されたことはなかった。1998年から19992月28日までパリ・カルティエ現代美術財団にて開催され、翌1999年ニューヨークを経て、東京へと巡回してきたこの展覧会の空間デザインを手がけたのは当時、三宅デザイン事務所にいた吉岡徳仁さん。この展覧会を訪れた時、僕はまだ吉岡さんのことを全く知らなかったけど、吊り下げられたPLEATS PLEASEの服たちが楽しそうに飛び跳ねるインスタレーションなど、とても新鮮で驚きのある空間デザインは感動的だった。

そして「A-POC」*1。「A-POC」は「A Piece Of Cloth(一枚の布)」の意味で、もちろん「エポックメイキング」ともかけている。三宅一生さんと藤原大さんによるこのプロジェクトは、これまでの服作りとは全くことなる、まさにエポックメイキングな技法を編み出したプロジェクトだ。「A-POC」は、コンピューター制御された織機を使った一体成型により、始めから服になっている一枚の布を織り上げる。一枚の布に描かれた切り取り線に沿ってハサミを入れていくと、パンツやシャツ、スカートや帽子が出来上がる。カットの仕方で、シャツの丈を長くしたり短くしたりも自由にできる。このようにイノベーティブな試みである「A-POC」は2000年のグッドデザイン大賞を受賞した。「A-POC」の最初期のプロダクト(?)に「ミダス」という人の形をしたクッションソファがある(2000年)。それがどうしても欲しくて、吉岡さんが空間を手がけた南青山の「A-POC」のショップで購入した。無印良品の「体にフィットするソファ」に頭と手と胴がついたようなとてもユーモラスなソファは今もお気に入り。

滝沢直己さんがクリエイティブディレクターを務めていた2000年春夏ミラノメンズコレクションでは、村上隆さんとのコラボレーションKai Kai Ki Kiを発表した。その後、村上隆さんは、2001年に東京都現代美術館で大規模な個展「召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか」を開催。2003年にはルイ・ヴィトンとのコラボレーションで、現代アートに関心が無い人でも知る存在となっていく。

2003年1月28日の朝日新聞に、三宅一生さんは「造ろう デザインミュージアム」と題した記事を発表。そして2007年3月、21_21 DESIGN SIGHTが六本木の東京ミッドタウンにオープンする。ディレクターは三宅一生、プロダクトデザイナー深澤直人、グラフィックデザイナー佐藤卓。
かくしてゼロ年代、三宅一生さんの元でファッション、プロダクトデザイン、インテリアデザイン、グラフィックデザイン、コンテンポラリーアートなど多様なクリエイティブ領域が様々に交差し新しい世界が生まれていった。なんだかんだで、デザインケータイも含めゼロ年代の日本のデザインシーンは全ては三宅一生さんの掌の上の出来事だったような。。。そうそう、AppleのCEO、スティーブ・ジョブズがいつも着てる黒のハイネックだってISSEY MIYAKE ! (関係ないか)。

深澤直人さん&藤井保さんの「THE OUTLINE」展(21_21 DESIGN SIGHT)のレセプションの際に一生さんと立ち話をした。2009年9月に21_21で開催したiidaの新商品発表会、一生さんはとても気に入ってくれたようだった。「一生さんが今使ってるケータイは何ですか?」と聞くと、ポケットから現れたのはシルバーのINFOBAR 2。「僕、パソコンとか携帯電話とか、全然ダメでね」と笑顔で見せてくれたINFOBAR 2の裏面には、電話番号がデカデカと書かれたシールが無造作かつ大胆に貼られていた。

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1 三宅一生さんによる、22回京都賞記念ワークショップ 「デザイン・テクノロジー・そして伝統」において、藤原大さんがA-POCについて語っている。僕のお気に入りのクッションソファ「ミダス」の写真も。

【参考】会社としての「イッセイミヤケ」知るには川島蓉子さんの力作『イッセイミヤケのルール』日本経済新聞出版社)がお薦め。

2010年5月2日日曜日

デザインケータイの10年:日産のデザイン戦略そしてトヨタ

日産のデザイン戦略は、前述の「デザイン家電」の動きと共にゼロ年代のデザイン戦略の代表的な事例だ。直接的な関わり合いは全くなかったが、au design projectを企画する過程で、刺激と勇気を大いに与えてもらった。

業績不振からの脱却を目指し、カルロス・ゴーンCEOの元、1999年に発表された日産リバイバルプランが2000年に実行に移された。日産自動車のTVCFには日産自動車デザイン本部デザイン本部デザインディレクター(当時)の中村史郎さんが登場、デザインの日産を印象づけた。かわいらしいキャラクターとカラーバリエーションで一躍人気となった「マーチ」2002年)や「モダンリビング」という考え方を車に取り入れるというコンセプトで登場した「ティアナ」2003年)、テレンス・コンラン卿の息子、セバスチャン・コンランが手がけた「キューブ」の特別仕様車「キューブ プラス コンラン」(2004年)と見ていくと、日産がいかにデザインブームの流れに沿って商品企画を進めていたかがわかる。

2001年の東京モーターショーではソニーと共にコンセプトカー「pod(ポッド)」を発表。AIBOみたいに感情表現したり成長したりするクルマを提案した。 また2005年の東京モーターショーで発表したコンセプトカー「Pivo(ピボ)」では、アーティストの村上隆さんとコラボレーションを行っている。

そもそも日産のデザイン戦略と言えば、コンセプター・坂井直樹さんが手がけた「パイクカー」。バブル経済の真っ直中、大量生産を前提としない、遊び心のある「とんがった」クルマ作りを目指して、Be-1(1987年)、PAO(1989年)そしてFIGARO(1991年)といった「パイクカー」が登場した。 当時、高校生だった僕は、書店で立ち読みしていた雑誌にBe-1の記事を見つけ、なんだか心躍ったのを覚えている。PAOやFIGAROは、今でも時々街中で見かけるし、今尚、古さを感じさせずとてもかわいい。ちなみにBe-1が出た当時、高校の写真部に所属していた僕にとって、一番の憧れのプロダクトはルイジ・コラー二が手がけたキャノンの一眼レフT90(1986年)だった。

一方、トヨタは1995年の第31回モーターショーでプリウスのプロトタイプを発表。97年に初代、2003年には2代目のプリウスを発売し、2003年度グッドデザイン大賞を受賞している。また、2005年からミラノサローネにおいて、LEXUSのアートエキシビジョンを開催。会場デザインは、石上純也さん(2005年)吉岡徳仁さん(2006年)など気鋭の建築家、デザイナーが手がけ大きな話題を呼んだ。吉岡徳仁さんは、2005年と2007年の東京モーターショー・トヨタブースのデザインも手がけている。カーデザインではない、広義のデザインを切り口に、ゼロ年代における日産とトヨタの動き方の違いを比較してみると興味深いものがある。今から振り返ると、ゼロ年代における一連の動きはいささか表層的なデザイン戦略だったように思えてしまうが。。。どうなんだろう。プリウスだけが今なお輝いてみえるような。

2010年5月1日土曜日

デザインケータイの10年:「デザイン家電」

「デザインケータイ」と並び「デザイン●●」の代表格が「デザイン家電」。イームズブーム、ミッドセンチュリーブームに端を発し、インテリアデザインへの関心が高まる中で、厄介モノ扱いされていたのが、家電のデザインだった。電話機&FAX、炊飯器、冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、扇風機、加湿器、空気清浄機、計算機。。。せっかくインテリアにこだわっても、おしゃれな空間に合うものがないMade in Japanの家電。誰にも嫌われない、でも誰にも積極的に好かれるわけでない日本の家電の形。こうした状況下での選択肢は、

①どうにか隠す ②海外メーカー製の家電を購入する ③無印良品の家電でなんとかする

①は、知恵と工夫が必要だし、②は割高だし、そうなると③の無印良品の家電で「ま、いっか」ということになる(ちょうどいいのがあれば)。90年代後半、デザインやファッションにおいてシンプル、ミニマル、モノトーンが世界的トレンドとなる。その流れに乗って無印良品は飛躍的に成長、身の回りのものは全て無印という「ムジラー」と呼ばれるファンも出現した。無印良品が家電に参入したのは1995年。無印良品の家電は、大手家電メーカーのOEMであるが、無駄な主張をしないシンプルなデザインにホワイトを基調とするカラーが支持された。1999年、当時IDEO JAPANの代表だった深澤直人さんとDMNが、企業のインハウスデザイナーを対象としたワークショップ「WITHOUT THOUGHT」を開始する。その「WITHOUT THOUGHT」で発表された深澤さんの壁掛式CDプレイヤーを良品計画の金井政明社長(当時は営業本部長)が発見し、2000年に無印良品で商品化される。2002年、深澤さんは無印良品のアドバイザリーボードメンバーに就任する。

日本の家電をなんとかしようという動きで、一番早かったのは西山浩平さんらが98年に始めた「空想家電」。のちに「空想生活」と名を改める「空想家電」はコミュニティーサイトで、デザイナーが提案した商品の予約をウェブ上で受付け、一定数に達したものを商品化する仕組み(DTO:Design to Order)だ。「空想家電(空想生活)」からは、コルビジェのデザインルームやイームズチェアの近くにPCがあったらという設定で片山正通さんによってデザインされたパソコン「CIGARRO PC」(2001年)などが商品化された。2001年には良品計画と共に無印良品ネットコミュニティーを開始。柴田文江さんデザインの「体にフィットするソファ」などが商品化された。

「電話機は、ど~して、どれもこれもしょ~もないものばかりなんだろう」とみんな思っていたところに舞い込んだ朗報が、2000年に発売された岩崎一郎さんデザインの留守番電話機Telephone 810(韓国・ミューテック社)だった。

2001年、東芝からイラストレーター若野桂を起用した電子レンジ「メカール」が登場。2002年には東芝によるデザイン家電のシリーズatehaca(アテハカ)」が誕生する。その後、「メカール」や「アテハカ」シリーズを手がけた熊本浩志さんは東芝からスピンアウトし、家電メーカー・リアルフリート社を2003年に設立。鄭 秀和さんがデザインディレクションを担当するデザイン家電ブランドamadana(アマダナ)」をスタートさせる。

2003年には、もう一つのデザイン家電ブランドが誕生する。玩具メーカーのタカラ(当時)とダイヤモンド社そして深澤直人さんが共同で立ち上げた±0(プラスマイナスゼロ)」だ。

2005年には、村田智明さん率いるデザインブランド「METAPHYS(メタフィス)」が誕生する。「METAPHYS」は複数の企業が参加するコンソーシアムの形態をとるブランドだ。

このような形で、国内の大手メーカーの最大公約数的な商品企画・開発に対するアンチテーゼとなる活動が2000年代前半に次々と花開き、ユーザーの選択肢は増えていった。

au design projectのスタートは2001年(構想は2000年から)、INFOBAR発売は2003年。デザイン家電を巡る大きな動きも、上記の通り2000年から2003年の間にほぼ出尽くしている。振り返れば、2000年から2003年の4年間が「デザイン●●」の最もホットな時期だったようだ。

デザインケータイの10年:「かわいい」 vs「カッコいい」

1995年。Windows95が発売されてパソコンの普及が加速し、ワープロが廃れ、インターネットの急速な普及が始まり、社会が情報化・ネットワーク化していく起点となった年。阪神・淡路大震災そしてオウム真理教による地下鉄サリン事件が起った年。

この1995年は、前述したようにインターネット文化とケータイメール文化、「デザインブーム」と「かわいい」カルチャーの起点となった年でもある。

95年以降、女性的感性が原動力となって生み出された文化が、女子高生を中心としたポケベルブーム(93年~)を受け継ぎ、95年のPHSサービス開始により始まったケータイメール文化と「かわいい」カルチャーの掛け合わせ。プリクラ登場も95年。

一方、男性的感性が原動力になって生み出された文化が、インターネット文化(インターネットと結びついたパソコン文化)と「カッコいい」あるいは「美しい」感性を基本とする「デザインブーム」の掛け合わせ。

日本における1995年以降の情報文化と感性文化の組み合わせは、このように2通りあり、並走しつつ、時に交差しながら発展していく。95年以降、PHSやケータイといったモバイルデバイスは、女性的審美眼に基づく「かわいい」感性を参照してデザインされるようになり、インターネット文化寄りのモバイルデバイスであるPDAやハンドヘルドPCは男性的審美眼に基づく「カッコいい」感性を参照してデザインされていた。1995年から2000年初頭にかけてのモバイルデバイス のプロダクトデザインを巡る状況を極々単純化するとこう説明できる。

「かわいい」感性はゼロ年代に入ると男性的な審美眼に基づく「カッコいい」感性を侵食していく。真壁智治氏とチームカワイイによる『カワイイパラダイムデザイン研究』(平凡社)は、この状況について分析を試みた大変興味深い書籍だ。モダンデザインに相応しい形容詞は「カッコいい」。男性的で理性的、合理的、機能的なイメージが思い浮かぶ。真壁氏によれば、モダンデザインの思想は、万人のための標準品という理念の下に展開されてきたものではあるものの、デザインテイストはアポロン的(合理的で明快)な様相を色濃くもっており、男性的な審美眼が特徴となってきた。それがゼロ年代以降、「「優しさ」や「愛らしさ」、「瑞々しさ」といったこれまでモダンデザインには表出してこなかった女性的志向の表現が次第に現れるようになった」と言う。根っこには「モダン」を継承しながらも、「カワイイ」を取り込む形で変容したモダンデザインを真壁氏は「モダンカワイイ」と呼び、その事例として深澤直人さんのINFOBARやプラスマイナスゼロの加湿器、あるいは吉岡徳仁さんのMEDIA SKINをあげている。

モダンデザインが変容した「カワイイデザイン」を真壁氏はポジティブな視点で捉え、「モダンデザインの機能主義とは異なるメタ機能とでも呼ぶべき領分を切り拓くデザイン」であり、「心に生起する「感性」をデザインしてゆくわけで、「「インスケープ・デザイン」(心の風景をデザインする)という言い方もできる」と述べている。

真壁氏がわざわざカタカナで「カワイイ」と表現しているのは、ピンク色でラメラメのキュートな雑貨やキャラクターを単純に意味しているだけに受け止められかねない「かわいい」と区別したいがためであることに留意しなくてはならない。「カワイイ」と「かわいい」の相違は、村上隆が、オタク文化を下敷きにしながら、それをコンテンポラリーアートの世界的な文脈の中で変容させた(それゆえにオタクから批判された)ことに似ている。

深澤直人さんや吉岡徳仁さんのデザインに対する世界的評価、あるいは、前衛芸術家・草間彌生さんの作品が、かつての女性的でチャイルディッシュというネガティブな評価から一転して、ゼロ年代に入り世界的な評価を一気に獲得した事実に見られるように、女性的かつ日本的な「カワイイ」は、デザインやアートの文脈において世界的な影響を与えている*1。「カワイイ」は、10年代のデザインを考える上で、さらに掘り下げるべき概念である。

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*1 一方、アニメやマンガ同様に、ピンクでラメラメな日本の「かわいい」文化もまた、アジア諸国、欧米諸国に広まっている。NHKの深夜番組「東京カワイイ★TV」は、この辺りの事情を積極的に取り上げている。