●ゼロ年代的「デザイン」の終焉
iPhoneとかTwitter、Ustreamで始まった10年代においてデザインマネジメントはどうあるべきなのか?ゼロ年代のデザインマネジメントはあまりにブランディングと手をつなぎすぎた。本当のイノベーションとは結びつかず、その結果、大した実りもなく過ぎ去った。ゼロ年代、デザインマネジメントはブランディングの僕だった。そういう意味で、10年代はもはや「デザイン」の時代ではないと、まずは宣言しよう。「エモーショナル」とか「感性」とか、ゼロ年代に流行った言葉も一度、忘れてしまおう。
デザインは、もちろん、マーケティングやブランディングの僕などではない。他社の商品と差別化を図って競争に勝ち抜くための道具でも、ブランドを表層的に格好良く見せるための手段でもない。デザインとは人とモノとのより良い関係、身体的にも精神的にもより豊かになるような関係を考え、形にすること。それをきちんと実践した企業こそが、顧客からの信頼や共感を獲得し、結果としてブランド力が高まっていくのであって、その逆ではない。「ブランド力を高めるために」とか「他社との差別化を図るために」という目的設定は本末顛倒だ。人々のため、社会のためにモノやサービスをより良くデザインし提供することこそが第一義である。
●10年代=「ケータイ」カルチャー、世界へ???
ケータイはポスト団塊ジュニアが主役を演じた90年代ポップカルチャー、「カワイイ」カルチャーと密接な関係を持ちながら発展してきた。10年代はゼロ年代に培ってきた「ケータイ」カルチャーを世界にもっと輸出しよう。ゼロ年代、日本人はケータイに夢中だった。お金もケータイに費やした。若者は車も買わず。日本の叡智、消費のパワーは全てケータイに費やされた。そして今やガラパゴス化なんて言葉を編み出して、自らの過去を自虐的に攻撃し始めた。iPhoneを黒船に例えて、必要以上にびびっている。Appleは素晴らしい。それでいいじゃないか。そして日本人の誰もスティーブ・ジョブズになんかなれないし、Appleのような企業なんて絶対に生まれない。スティーブ・ジョブズやAppleについて書かれたたくさんの本が出てるし、それらを読むとやっぱりAppleは凄い、うちの会社は、日本の会社は駄目だなんて思ってしまうけど、Appleから学べることなんて本当は何もないのかもしれない。学んだところで実現しない。ただ羨ましく思い、ただただ素晴らしいMacやiPodやiPhoneを素直に使えば良い。そして、僕らは「ケータイ」文化をもっと洗練させて輸出しよう。
●プラットフォームデザイン
10年代により重要となる概念は「プラットフォーム」。ガラパゴスの諸島から脱出するには、世界標準のプラットフォームに乗せて、浮世絵のごとく、ゼロ年代の鎖国時代に培った日本のケータイ文化や日本のポップカルチャー、日本的思考・アイデア・コンセプトをせっせと輸出しよう!世界標準のプラットフォームの上に乗せるものをデザインすること。プラットフォームの上でデザインすること。
あるいは、日本発、TOKYO発の全く新しいプラットフォームをデザインする。。。できるかな???
100%デザインしてしまわないこと。世界に通用するプラットフォーム&ユーザーが一定のルールの下で好きなようにカスタマイズできるプラットフォーム&バージョンアップし続けることのできるプラットフォーム。レゴのように
シンプルで、誰もがクリエイティビティを発揮できて、どう組んでも美しい、かわいい、かっこいいプラットフォーム。
●横断的・統合的デザインマネジメント
プラットフォームの上には、様々なモノが乗るから、当然ながら横断的・統合的デザインマネジメントがこれまで以上に重要になる。プロダクトデザイン、エンジニアリングデザイン、インタラクションデザイン、グラフィックデザイン、エコシステムデザイン。。。