スナブロ SUNA-BLOG: デザインケータイの10年:「携帯電話」から「ケータイ」へ ポスト団塊ジュニアによるコミュニケーション革命

デザインケータイの10年:「携帯電話」から「ケータイ」へ ポスト団塊ジュニアによるコミュニケーション革命

1993年~1996年当時の女子高生たちは、それまで、官公庁や医療機関における緊急時の連絡手段、あるいは外出中の営業マンや経営幹部、管理職などと連絡を取るためのビジネスツールだったポケベルを、友達や恋人同士のコミュニケーションツールに変えてしまった。「0840」(おはよう)、「724106」(何してる?)、「14106」(愛してる)。ポケベルに表示される数字の語呂合わせでコミュニケーションすることを発明し、ポケベルブームを巻き起こした彼女たちは、1975年から1981年にかけて生まれた「ポスト団塊ジュニア」世代*1(2010年の時点で29歳~35歳)。そもそも彼女たちによるポケベルブームが無かったら、日本のケータイは「ガラパゴス化」と呼ばれるような世界標準とは異なる特異な進化を遂げることはなかったのかもしれない。ポスト団塊ジュニアはポケベルからPHS(通称ピッチ)そしてケータイへと渡り歩きながら今日のケータイ文化を築きあげた。

ポスト団塊ジュニア世代のちょうど真ん中にあたる1978年生まれを例に「ポケベル→ピッチ→ケータイ」という変遷を振り返ってみよう。78年生まれが高校1年生だった1994年、ポケベルはまだ数字の語呂合わせだけでしかメッセージを送ることができなかった。1995年(高校2年)には、かな・英文字表示可能なポケベルが登場し、2つの数字の組み合わせでかな・英文字1字を打つ、所謂「ポケベル打ち」でメッセージを送ることができるようになる。1996年(高校3年)、当時新人だった広末涼子(1980年生まれ)を起用したNTTドコモのTVCM「広末涼子、ポケベルはじめる」の放映が開始される。この1996年がポケベルのピークで、この年の契約件数は1,078万件。うち10代女性の契約数が女性全体の36%、新規契約数では女性全体の新規契約数の64%が10代女性だった*2というから、いかに女子高生の間で流行していたかがわかる。

その後、女子高生たちのコミュニケーションツールの主役はPHSへと急速に変わっていく。携帯電話よりも音質が良く、高速データ通信が可能で、低料金であることをウリにPHSが登場したのは1995年。78年生まれが高校3年生だった1996年にはDDIポケット(現:ウイルコム)が半角カナ・英数字と絵文字を20文字まで送受信可能なPメールを開始する。もはやポケベルにメッセージを送るために公衆電話に並ぶ必要のないPメールのようなショートメッセージサービスと携帯電話より格段に安い料金は、当然ながら女子高生の間でブレイクし、PHSは彼女たちから「ピッチ」と呼ばれるようになった。

ただそれも束の間、ポスト団塊ジュニアによるコミュニケーション革命は、あっと言う間に携帯電話へと波及する。78年生まれが高校を卒業した1997年、各社の携帯電話端末にメール機能が搭載される。「携帯電話」は単に持ち運びできる通話のための機器から情報通信機器へと進化を開始。「携帯電話」から「電話」という単語が省かれて「ケータイ」とカタカナで書かれるようになる。ポスト団塊ジュニアの「ポケベル→ピッチ」という流れに合流して「携帯電話」は「ケータイ」へと変貌を遂げた。1996年以降の携帯電話料金の急速な値下げと1997年のメール機能搭載により、携帯電話は爆発的に契約数を伸ばす一方で、ポケベルもPHSもあっと言う間に衰退していく。PHSはケータイに対する優位点が高速データ通信しか無くなり、1997年の契約数710万をピークに減少の一途を辿る。PHSは、ポスト団塊ジュニアを中心とした若者たちから「ケータイに比べて安っぽい」、「端末がおもちゃっぽい」、「すぐ切れる」といったレッテルを貼られてしまった。お金があれば、社会人になったらピッチよりも高級なケータイへという気分が広まっていった。

78年生まれが大学生、社会人になった1999年にはiモードがスタートし、2000年3月末には携帯電話の契約数が5000万台を突破する*3。iモードのメール機能は、インターネットでEメールを受信するように、その都度サーバーに読みに行く方式ではなく、ポケベルにおいてメッセージが瞬時に届くことの利便性を取り入れ、ポケベル感覚で自動的にメールが端末に届くように企画したという*4。通話する機器としての「携帯電話」からポスト団塊ジュニアのコミュニケーションスタイルを取り入れた情報通信端末としての「ケータイ」への進化は、端末のデザインにも当然大きな影響を及ぼすことになる。

1994年、ユーザーが端末を買い取ることができる「携帯電話売り切り制」がスタートする。それまでは携帯電話端末は携帯電話会社がユーザーにレンタルする形を取っており、月々の利用料金にレンタル費用が加算されていた。「携帯電話売り切り制」により、基本料金が下がり、端末も安い価格で自由に選べるようになったことで、携帯電話が爆発的に普及していくことになる。この1994年は、さながら「携帯電話」デザインのカンブリア紀とも言えるような様相を呈し、様々なメーカーから多種多様なデザインの端末が登場している。1994年以前のユーザー層が医師や弁護士や政治家といった男性エグゼクティブ層であったのが、ビジネスマンへと広がっていく。多様なデザインとはいえ、デザインはバータイプ(ストレート)が基本の男性を意識したフォルム、カラーも黒が中心であった。この頃、一部の男性ユーザーから絶大な人気を得ていたのがモトローラのStarTAC(1996年)である。クラムシェル(二つ折り)タイプのStarTACは、当時の男性ユーザーが求めていた「カッコイイ」デザインの代表例だ。StarTACに限らず、この時代の「携帯電話」のデザインは、無線機やトランシーバーなどを彷彿とさせるいかにも男性的なデザインであった。

それが、1997年に「携帯電話」にメールが搭載され、ポスト団塊ジュニアをコアターゲットとした「ケータイ」に進化するや、デザインも大きく変わっていく。カラーは、それまでブラック中心であったのが、ポスト団塊ジュニアを中心とした10代~20代女性をターゲットとした商品企画が行われるようになり、パールホワイトやピンクなど明るく女性に受け入れられやすいカラー、そしてフォルムも曲線的な柔らかいフォルムが採用されうようになる。キティやミッキー、プーさんといったキャラクターや浜崎あゆみデザインの豹柄パターンがあしらわれたモデルも登場。ケータイのデザインは、コスメ的、ファッション的な要素をどんどん取り入れるようになっていった。

そして、音声通話よりもメールを打つための端末になり、iモード登場後はウェブブラウジングのための端末にもなったことで、キーボタンは電話番号を打つためのデバイスから文字を打つためのデバイスとなった。ディスプレイは電話番号や名前を表示するためのものから長文のテキストを表示し、あるいはウェブサイトを表示するためのデバイスとなった。1999年、iモード対応モデルとして登場したNEC製のN501iは、折りたたみ形状に今日では一般的な縦長の大型ディスプレイ、そして広いキーパッドを搭載していた。メールやウェブの使いやすさで、これ以降、ケータイといえばNといわれるほどNEC端末全盛の時代を築き上げた。Nと並んでPと呼ばれて人気を誇っていたパナソニックのモデルはストレートタイプの代表的な存在であったものの、2002年には折りたたみタイプに移行する。それまで主流であったストレートモデルは、大画面化や広いキーパッドエリアを確保する上で不利な形状であったため急速に勢力を失い、2001年には半数以上、2002年には、各社ほぼすべてのモデルが折りたたみ形状のモデルとなった。女性にとって親しみのあるコンパクトを思わせる折りたたみの形状や所作というのも、折りたたみ人気の一つの要因だったに違いない。

1995年以降のインターネットの急速な普及による情報革命とは全く別の文脈で、ポケベル→ピッチ→ケータイという変遷を辿ったポスト団塊ジュニアによる90年代のコミュニケーション革命。「携帯電話」が「ケータイ」となり、チャット感覚で頻繁にメールをやりとりするようになれば、ケータイは常に手の中にあることになる。使っていない時でも手でこねくりまわしている。ケータイとの距離感は、それが携帯できる「電話」でしかなかったことに比べて格段に近くなり、ユーザーの間により深い関係性が生まれてくる。端末の電子機器然とした佇まいに違和感を覚えるようになる。ケータイのデザインに対する関心は当然高まってくるし、もっと自分に近い「かわいい」存在であって欲しいと思えてくる。シールを貼ったり、ケータイよりも大きくて重いストラップをぶら下げたりすることで「ケータイ」を自分に近い存在に変える。ケータイを自分に近しいものに変えたいというカスタマイズに対する欲求は、ネイルアート感覚でケータイをラインストーンやビーズあるいはペイントしたりしてデコレーションする「デコ電」(2004年頃~)へと発展していく。

「ポケベル→ピッチ→ケータイ」という変遷を辿ったポスト団塊ジュニアの女性たちによるコミュニケーション革命。その流れの中で、通話のための端末であった「携帯電話」は情報通信端末としての「ケータイ」へと変貌を遂げた。「携帯電話」においてスタンダードな形であったストレート形状は急速に廃れ、折りたたみがスタンダードとなり、デザインテイストは男性的な「カッコいい」から女性的な「かわいい」を意識した流れへとシフトした。ポスト団塊ジュニアの女性たちは90年代の若者文化の担い手であり、次々と新しい流行を作り上げた世代だ。「コギャル」という言葉が初めて現れた1993年頃からはじまった女子高生ブームは1995年~2000年に本格化する。90年代中盤からゼロ年代初頭にかけては、多くの企業が時代の中心であった女子高生をターゲットとして商品開発を行う女子高生マーケティングの時代だった。彼女たちはルーズソックスに茶髪、プリクラ、たまごっち、109のカリスマ店員、カフェブームなどを生み出し、今日まで続く「かわいい」カルチャーを強烈に押し進めた世代である。その影響はアートの世界にも及び『美術手帖』も1996年2月号で「かわいい」特集を組んでいる。彼女たちが生み出した数々の流行の中に、ピッチやケータイ、iモードが名を連ねる。1995年に登場したプリクラは、写真を記録メディアから友達同士のコミュニケーションメディアへと変え、この流れが後の「写メール」を生むことになる。

女子高生による「かわいい」カルチャーのまっただ中でケータイは折りたたみ一辺倒になり、10~20代女性の嗜好に迎合したデザインが増えていった。ディスプレイやバッテリーの急速な大型化や多機能化といった技術トレンドを、凄まじいサイクルで新商品に落とし込むのが精一杯で、ユーザーが本当に求めている形ではなく、設計上の都合を感じざるを得ない形のケータイが増えていった。デザインは画一的になり、どれも似たようなケータイばかりが店頭に並んでいる状況であった。ケータイが一人一台に向かおうとしているにもかかわらず、デザインの多様性は失われていく流れになっていた。2000年頃は、デザインブームのまっただ中でもあった。「欲しいケータイがない」「デザインのいいケータイが欲しい」、デザインブームを支えていた人々を中心にそんな声が広がりはじめていた。2000年の夏、僕はau design projectの前身となるプロジェクトのプランを考えはじめた。

*1
1971年~1974年生まれの第二次ベビーブーマー世代を団塊の世代の子供という意味で「団塊ジュニア」世代と呼ぶ。その団塊ジュニアの「後」の世代ということで「ポスト団塊ジュニア」世代。ただ、消費社会研究家、マーケティング・アナリストの三浦展氏は、父親が団塊の世代で、かつ母親が団塊の世代かポスト団塊世代、つまり両親ともに戦後生まれの子供がたくさん生まれた1975年から1979年生まれの世代こそが本当の団塊ジュニア、「真性団塊ジュニア」だとしている。つまり「ポスト団塊ジュニア」と呼ばれている世代こそが、本当の意味での団塊ジュニアだとし、従来そう言われてきた「団塊ジュニア」は「ニセ団塊ジュニア世代」だとしている。
http://www.culturestudies.com/memdir/data/dan/default.html

*2
http://www.nttdocomo.co.jp/binary/pdf/info/news_release/report/070313.pdf

*3
ちなみに携帯電話の契約数が1億を突破したのは2007年12月末。

*4
「メールの機能については、現行で出てる端末をたくさん触って、メールをガンガン使ってる女子高生に会社の人間だというのはふせて(笑)、街でいろいろと話を聞いたりもしました。メールについては当初、パソコンでEメールを受信するのと同様に自分からサーバーへ読みに行く方式を考えていましたが、メッセージが瞬時に届くという利便性はポケベルでわかっていたし、女子高生なんかは実際にそれをチャット感覚で使っていたので、250文字という制限はありますが、携帯電話のメールも直接端末に届くようにしました。今は当たり前になっていますが、これがiモードメールの普及を促した一番の要因だと僕は考えています。」

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