デザインケータイの10年: プロトタイプinfo.bar ―2つの文化、2つの感性の合流 ―
Photo:Satoshi Sunahara |
2001年5月、ビジネスショウ 2001 TOKYOでの展示 (2001/5/22-5/25) Photo:Satoshi Sunahara |
info.barを企画していた当時、IT業界の中では、PDAがケータイになるのか、ケータイがPDAになるのかという議論がなされていた。1997年のメール機能搭載、そして1999年のiモードの登場により単に持ち運びできる音声通話のためのデバイスから高度なモバイル情報通信機器になりつつあったケータイ。そして逆にPalmやPocket PCのようなPDAは携帯電話機能を取り込むことで、より高度なモバイル情報通信機器への進化を開始しようとしていた。高度なモバイル情報通信機器の覇権争いをPDAとケータイのどちらが征するのか、まだ結論が出ていなかった。そのどっちつかずの状況が、info.barにはそのまま反映されている。だが、それから数年も立たないうちに、PDAはケータイに駆逐され国内市場からはほとんど消えてなくなった。僕もカシオのCASIOPEAやHandspring社のVisor Edge、ソニーのCLIEといったPDAを使っていたが、こうしたPDA不利な状況の中で最後は渋々ケータイへと移行した。一方、ケータイは世界一の進化を遂げ、全盛を誇ることになる。表がケータイ、裏がPDAとしてデザインされたinfo.barは、表のケータイ面だけが具現化されてINFOBARとしてデビューした。Windows mobileを搭載したWilcomのW-ZERO3シリーズや米国で人気を誇ったBlackBerryのようなスマートフォンが登場しても、国内ではマイナーな存在でしかなかった。
2001年5月、ビジネスショウ 2001 TOKYOでの 展示。左奥がinfo.barの裏面で動画再生のデモを行った。 チョコバーのパッケージのようなケースの提案も。 Photo:Satoshi Sunahara |
2002年5月、ビジネスショウ 2002 TOKYO での展示 Photo:Satoshi Sunahara |
info.barの表と裏、ケータイとPDAは同じモバイルデバイスであっても、全く異なる文化的背景から生まれてきたものだ。日本のケータイ文化は、コギャルにルーズソックス、茶髪、プリクラ、たまごっち、109のカリスマ店員など数々のブームを生み出した団塊ジュニア世代(1975年〜1981年生まれ、2010年の時点で29歳~35歳)の女性たちがポケベル→ピッチ(PHS)→ケータイと渡り歩く中で作り上げたドメスティック文化だ。「かわいい」という感性と親和性が高く、今や海外に輸出される日本の「かわいい」カルチャーとケータイは、1995年前後から現在に至るまで共に育ってきた仲だ。ケータイは単なる電子機器でなく、片時も手放すことなく片手親指で絶えずメールをし、そうでない時も手でこねくり回しているカワイイ存在、そして自分の個性を表現するファッションアイテムとなる。彼女たちの利用スタイルと嗜好に合わせて、ケータイのカタチはコンパクトのような二つ折り全盛になり、カラーや仕上げは化粧品のパッケージのようになっていく。
それに対してPDAは、パソコンやインターネットと同様にグローバルな文脈を背景に持ち、ユーザーは男性中心。後者は「カッコいい」という感性あるいは「モダンデザイン」と親和性が高い。こちらは、やはり1995年前後から始まったイームズブームに端を発するデザインブーム、その最中でのVAIO(1997年)やiMac(1998年)などデジタルガジェットにおけるプロダクトデザインの洗練といった流れの中にVisorやCLIEのようなPDAがあった。ケータイについて言うと、この感性においてはモトローラのStarTacやノキア、エリクソンの端末が「カッコいい」モデルだった。たとえそれが国内メーカーのケータイより機能的に劣っていて、ケータイというより未だ“携帯電話”的な端末であっても。
info.barを生み出したデザインプロジェクト(後のau design project)を開始した背景に、このデザインブームの流れがあった。女子高生による「かわいい」カルチャーのまっただ中でケータイは二つ折り一辺倒になり、10~20代女性の嗜好に迎合したデザインが増えていった。急速なディスプレイの大型化や多機能化といった技術トレンドを凄まじいサイクルで新商品に落とし込むのが精一杯で、デザインは画一的になり、どれも似たようなケータイばかりが店頭に並んでいた。デザインの多様性が失われていく中で、デザインブームを支えていた人々を中心に「欲しいケータイがない」「デザインのいいケータイが欲しい」という声が広がり始めていた。そしてau design projectそしてデザインケータイの始祖であるinfo.barが完成した。info.barにおいて、ケータイ文化とデジタルガジェットの文化、「かわいい」と「モダンデザイン」2つの感性が合流し、共存し、止揚したのであった。
それに対してPDAは、パソコンやインターネットと同様にグローバルな文脈を背景に持ち、ユーザーは男性中心。後者は「カッコいい」という感性あるいは「モダンデザイン」と親和性が高い。こちらは、やはり1995年前後から始まったイームズブームに端を発するデザインブーム、その最中でのVAIO(1997年)やiMac(1998年)などデジタルガジェットにおけるプロダクトデザインの洗練といった流れの中にVisorやCLIEのようなPDAがあった。ケータイについて言うと、この感性においてはモトローラのStarTacやノキア、エリクソンの端末が「カッコいい」モデルだった。たとえそれが国内メーカーのケータイより機能的に劣っていて、ケータイというより未だ“携帯電話”的な端末であっても。
2002年5月、ビジネスショウTOKYO 2002での展示 Photo:Satoshi Sunahara |
レゴで作られた最初の形。 ここからinfo.barが生まれた。 Photo:Satoshi Sunahara |
※そもそもPDA(Personal Digital Assistant)という概念はAppleによるもの。1993年に発表されたNewtonがPDAの始祖であり、iPhoneへと至る系譜の源流だ。PDAという言葉は、AppleがNewton開発を推進していた当時のApple ComputerのCEOジョン・スカリーによる造語。もっともNewtonの売れ行きは芳しくなく、1998年に生産中止となった。
【深澤直人氏によるinfo.barキャプション(2001年発表時)】
【深澤直人氏によるinfo.barキャプション(2001年発表時)】
小さく滑らかなタイル状のキーの上を、親指が滑りながら文字を打っていく。
「親指のブラインドタッチ」はもう「ケータイ」操作のスタンダードになりつつあります。これは、日本人が生み出した新しい入力方式かもしれません。
移動中の気軽な片手操作はもう日常のコミュニケーションの新しいスタイルになりました。タイルキーは、その溝をデリケートな指先の感覚が感じ分け易いだけでなく、ユーザーのデザインによって様々な色のパターンに構成でき、個人がコーディネートできるファッション性を持つ、自分だけの「ケータイ」をつくりだせます。
「PDA」か「ケータイ」か。世界はいつもその行方を見つめています。そこには、それぞれの情報の入口としての特徴と利点があり、生活と文化の背景を背負っています。裏表にそれぞれの特徴を生かしたダブルフェイスの情報バー。これは、新たなコミュニケーションの形を示唆しています。
【深澤直人氏によるinfo.barキャプション(2002年発表時)】
「ひとと同じものを持ちたい。でも、ひとと少し違うものがいい。」
info.barはそんな矛盾する欲求を満たす新しいデザインのプラットフォームだ。タイルのようなキーの色を自分の好みにあわせて選ぶことができる。携帯電話はもっとも身体に近い電子機器としてその存在を確立した。そうなるとそれはもはや電子機器としてのスタイルを超えて、IDのような個人を表わすデバイスとなる。ファッションは最も個人のアイデンティティーを表すものである。だから携帯電話もファッションとしての価値を持ってもおかしくない。大きな四角いキーは見やすくて、しかも親指でメールが打ち易い。まるで板チョコのような、薄くて手になじむinfo.bar。それは個人を大切にした新しい情報機器の形かもしれない。
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