スナブロ SUNA-BLOG: デザインケータイの10年:「デザイン家電」

デザインケータイの10年:「デザイン家電」

「デザインケータイ」と並び「デザイン●●」の代表格が「デザイン家電」。イームズブーム、ミッドセンチュリーブームに端を発し、インテリアデザインへの関心が高まる中で、厄介モノ扱いされていたのが、家電のデザインだった。電話機&FAX、炊飯器、冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、扇風機、加湿器、空気清浄機、計算機。。。せっかくインテリアにこだわっても、おしゃれな空間に合うものがないMade in Japanの家電。誰にも嫌われない、でも誰にも積極的に好かれるわけでない日本の家電の形。こうした状況下での選択肢は、

①どうにか隠す ②海外メーカー製の家電を購入する ③無印良品の家電でなんとかする

①は、知恵と工夫が必要だし、②は割高だし、そうなると③の無印良品の家電で「ま、いっか」ということになる(ちょうどいいのがあれば)。90年代後半、デザインやファッションにおいてシンプル、ミニマル、モノトーンが世界的トレンドとなる。その流れに乗って無印良品は飛躍的に成長、身の回りのものは全て無印という「ムジラー」と呼ばれるファンも出現した。無印良品が家電に参入したのは1995年。無印良品の家電は、大手家電メーカーのOEMであるが、無駄な主張をしないシンプルなデザインにホワイトを基調とするカラーが支持された。1999年、当時IDEO JAPANの代表だった深澤直人さんとDMNが、企業のインハウスデザイナーを対象としたワークショップ「WITHOUT THOUGHT」を開始する。その「WITHOUT THOUGHT」で発表された深澤さんの壁掛式CDプレイヤーを良品計画の金井政明社長(当時は営業本部長)が発見し、2000年に無印良品で商品化される。2002年、深澤さんは無印良品のアドバイザリーボードメンバーに就任する。

日本の家電をなんとかしようという動きで、一番早かったのは西山浩平さんらが98年に始めた「空想家電」。のちに「空想生活」と名を改める「空想家電」はコミュニティーサイトで、デザイナーが提案した商品の予約をウェブ上で受付け、一定数に達したものを商品化する仕組み(DTO:Design to Order)だ。「空想家電(空想生活)」からは、コルビジェのデザインルームやイームズチェアの近くにPCがあったらという設定で片山正通さんによってデザインされたパソコン「CIGARRO PC」(2001年)などが商品化された。2001年には良品計画と共に無印良品ネットコミュニティーを開始。柴田文江さんデザインの「体にフィットするソファ」などが商品化された。

「電話機は、ど~して、どれもこれもしょ~もないものばかりなんだろう」とみんな思っていたところに舞い込んだ朗報が、2000年に発売された岩崎一郎さんデザインの留守番電話機Telephone 810(韓国・ミューテック社)だった。

2001年、東芝からイラストレーター若野桂を起用した電子レンジ「メカール」が登場。2002年には東芝によるデザイン家電のシリーズatehaca(アテハカ)」が誕生する。その後、「メカール」や「アテハカ」シリーズを手がけた熊本浩志さんは東芝からスピンアウトし、家電メーカー・リアルフリート社を2003年に設立。鄭 秀和さんがデザインディレクションを担当するデザイン家電ブランドamadana(アマダナ)」をスタートさせる。

2003年には、もう一つのデザイン家電ブランドが誕生する。玩具メーカーのタカラ(当時)とダイヤモンド社そして深澤直人さんが共同で立ち上げた±0(プラスマイナスゼロ)」だ。

2005年には、村田智明さん率いるデザインブランド「METAPHYS(メタフィス)」が誕生する。「METAPHYS」は複数の企業が参加するコンソーシアムの形態をとるブランドだ。

このような形で、国内の大手メーカーの最大公約数的な商品企画・開発に対するアンチテーゼとなる活動が2000年代前半に次々と花開き、ユーザーの選択肢は増えていった。

au design projectのスタートは2001年(構想は2000年から)、INFOBAR発売は2003年。デザイン家電を巡る大きな動きも、上記の通り2000年から2003年の間にほぼ出尽くしている。振り返れば、2000年から2003年の4年間が「デザイン●●」の最もホットな時期だったようだ。

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