デザインケータイの10年:日産のデザイン戦略そしてトヨタ
日産のデザイン戦略は、前述の「デザイン家電」の動きと共にゼロ年代のデザイン戦略の代表的な事例だ。直接的な関わり合いは全くなかったが、au design projectを企画する過程で、刺激と勇気を大いに与えてもらった。
業績不振からの脱却を目指し、カルロス・ゴーンCEOの元、1999年に発表された日産リバイバルプランが2000年に実行に移された。日産自動車のTVCFには日産自動車デザイン本部デザイン本部デザインディレクター(当時)の中村史郎さんが登場、デザインの日産を印象づけた。かわいらしいキャラクターとカラーバリエーションで一躍人気となった「マーチ」(2002年)や「モダンリビング」という考え方を車に取り入れるというコンセプトで登場した「ティアナ」(2003年)、テレンス・コンラン卿の息子、セバスチャン・コンランが手がけた「キューブ」の特別仕様車「キューブ プラス コンラン」(2004年)と見ていくと、日産がいかにデザインブームの流れに沿って商品企画を進めていたかがわかる。
2001年の東京モーターショーではソニーと共にコンセプトカー「pod(ポッド)」を発表。AIBOみたいに感情表現したり成長したりするクルマを提案した。 また2005年の東京モーターショーで発表したコンセプトカー「Pivo(ピボ)」では、アーティストの村上隆さんとコラボレーションを行っている。
そもそも日産のデザイン戦略と言えば、コンセプター・坂井直樹さんが手がけた「パイクカー」。バブル経済の真っ直中、大量生産を前提としない、遊び心のある「とんがった」クルマ作りを目指して、Be-1(1987年)、PAO(1989年)そしてFIGARO(1991年)といった「パイクカー」が登場した。 当時、高校生だった僕は、書店で立ち読みしていた雑誌にBe-1の記事を見つけ、なんだか心躍ったのを覚えている。PAOやFIGAROは、今でも時々街中で見かけるし、今尚、古さを感じさせずとてもかわいい。ちなみにBe-1が出た当時、高校の写真部に所属していた僕にとって、一番の憧れのプロダクトはルイジ・コラー二が手がけたキャノンの一眼レフT90(1986年)だった。
一方、トヨタは1995年の第31回モーターショーでプリウスのプロトタイプを発表。97年に初代、2003年には2代目のプリウスを発売し、2003年度グッドデザイン大賞を受賞している。また、2005年からミラノサローネにおいて、LEXUSのアートエキシビジョンを開催。会場デザインは、石上純也さん(2005年)や吉岡徳仁さん(2006年)など気鋭の建築家、デザイナーが手がけ大きな話題を呼んだ。吉岡徳仁さんは、2005年と2007年の東京モーターショー・トヨタブースのデザインも手がけている。カーデザインではない、広義のデザインを切り口に、ゼロ年代における日産とトヨタの動き方の違いを比較してみると興味深いものがある。今から振り返ると、ゼロ年代における一連の動きはいささか表層的なデザイン戦略だったように思えてしまうが。。。どうなんだろう。プリウスだけが今なお輝いてみえるような。
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